
スピリチュアルな話題をブログに書くのは十数年ぶりです。今ではすっかりスピリチュアルという言葉が世の中に浸透していますが、私が本を読み始めた頃は『ニューエイジ』『精神世界』と呼ばれていました。
今では、私にとって特別なことでは無く、ごく自然に自分の物の考え方としてなじんでいますが、自分の実体験を書くことで、スピリチュアルな世界に興味を持ち始めた人の何かのヒントみたいなものになればと想い書いてみることにしました。
スピリチュアルとは
スピリチュアルと言う言葉は、まるで流行言葉のように使われ出してしばらく立ちますが、漠然としているようなこの言葉の意味をまず探してみました。
スピリチュアルとは
英語のスピリチュアル(英: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま[1]。英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する[2]。キリシタン用語としては、ポルトガル語読みでスピリツアル、すぴりつあると表記される[1]。
出典: ウィキペディア
キリスト教用語なんですね。私もはじめて知りました。(笑 簡単に言うと霊的な事・精神的な事・神聖な物と言ったところでしょうか。
では、私が最初になじんでいた言葉もウィキペディアさんを見てみます。
ニューエイジとは
一般的に、19世紀の心霊主義、ニューソート、神智学の伝統から派生したもの[5]、グノーシス主義、ロマン主義、神智学が現代的に再編されたものであるとみなされている[1]。内側からやってくる「スピリチュアルな真実」があると信じそれを称賛するという点において、新しいタイプの神秘主義であり、自分自身が神になるという自己啓発の神秘主義といえる[1]。ニューエイジ(とその系譜の「スピリチュアル」でも)「自分を知ること」「自分らしく生きること」に至上の価値が置かれている[6]。
出典: ウィキペディア
これは、私的には一番ピッタリくるニュアンスかも。。。
自分を知ること・自分らしく生きることに価値が置かれている。
そう、そう、私がけっきょく行きついた物の考え方のひとつです。
精神世界とは
精神世界(せいしんせかい[註 1])は、ニューエイジと呼ばれる北米発の思潮に由来するもの、古今のオカルティズムや日本固有の霊学[2]、「自己探求」や精神変容にかんする情報など[3]、さまざまな思想が共存する雑多な文化領域である。「精神世界」という語は1970年代末頃から日本で使われるようになった[4]。スピリチュアリティとも言葉として近縁関係にある[3]
出典: ウィキペディア
この言葉の説明にもニューエイジやスピリチュアルという言葉が出てきていますね。本屋さんの分類分けでは、この「精神世界」というジャンル分けがされてることが多い様な気がします。
ウィキペディアさんの力を借りて表現するなら
スピリチュアルとは
霊的で、精神的で、神聖な出来事。
ニューエイジや精神世界とは、微妙に違う表現はされていますが、たぶん大きな違いは無いのだと思います。
私がスピリチュアルな考え方に行きついた理由
むかしから、なぜか神聖なものが好き、だけど特定の宗教には抵抗感がある。そんな所がありました。
小さい頃は祖母に育てられ、いわゆる道徳的な事は昔の人の知恵のような事を繰り返し教えられていました。
「人の振り見て我が振り直せ」
「情けは人のためならず」
とかね。(^^)
この言葉達の意味は、今にして思えばスピリチュアルな考え方に通じる意味が含まれていました。
子どもの頃は家庭に恵まれず複雑な家庭環境に育ち、心の葛藤はとても大きな物でした。
小学生の時は、自分が誰かの世話にならなければ生きていけないことを痛感し、目玉だけになりたいなぁなんて授業中にぼんやり考えている子どもでした。
大人になって独立して、やがて結婚して子育てをしても深い深い孤独感を抱えていました。
子どもの頃から夢描いていた母親になっても、理想の母親になれない自分や夫の理想の妻にはなれない自分。孤独感は深くなるばかりでした。
そして、おまけに若いときから患った完治しずらい膠原病もかかえていました。
大人のもめ事の中で実の母の夫から送られてきた誹謗中傷の手紙の中に「カルマ」という言葉をみつけました。
その人も、そんな世界に興味があることを察知して、しかも「自分を正当化する解釈」に感じ、とても違和感を感じていました。
専業主婦で自由になるお金も無いそんな時に、はまったのは本を読むことでした。
そして、たまたま出会った本がブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』と言う本でした。
そこから、いわゆる「精神世界」「スピリチュアル」な本を、むさぼるように読み始めました。【輪廻転生】【自分が生まれてきた意味】そんな所に強く惹かれました。
自分の心が心底辛いとき、だれかにしがみついて癒やされたくても、そんなことを誰かに求めたところで自分の欲求に答えてもらえる事は無い。
思い知っていた私はスピリチュアルな物事や本の中に自分の穴を埋める答えを探していたのだと想います。
スピリチュアルで人生が楽になった私なりの理解とは
ニューエイジ、精神世界、スピリチュアルな本を読みあさり、数々のヒーリングやセラピー、代替え療法を体験しました。
そして最終的に、『前世療法・ヒプノセラピー・退行催眠』という体験を最後に自分なりの答えをみつけました。
自分に起きるすべてのことは、自らが選び、何かを学ぶために起きている。
この考えで私は今、人生が楽になったと感じています。
通常、辛い出来事は、誰かのせいや、何かのせいにする方が楽になれるように無意識に感じていることが多いと想いますが、本当は違っていたんですね。
人が生まれて来るときに、生きていく中で、自分が自分の魂を磨くために辛い出来事を体験するように自らがプログラムしている。
そして、この考え方が真実かどうかは、もちろんわかりません。(笑
でも、私にとって大切なことは真実かどうかではなく自分の心が楽になれて日々幸せを感じて生きていけるかと言うことなので、自分がたどりついた答えに満足して今では心軽く生きています。
(ま、そんなこと言いつつも時には「くそがっ!」と心でつぶやくことがあるのはナイショにしておきます。)
スピリチュアルな世界の私が思う注意点は
スピルチュアルな物事は目には見えない物だから、とっても悪用されやすいし、そこを見極めるには慎重さも必要だと思います。
多額のお金がかかる物は避けてきました。
そして、そんな目には見えない世界観にばかり没頭しすぎると、現実の世界で地に足をつけて生きることがおろそかになりがちになることもあると思います。
冷静さを忘れないこともとても重要だと感じました。
私は、オカルト的な事にはあまり興味がないので宇宙人が世界を救う
(宇宙人は否定する方が非現実的とは思っています)的な話しにはあまり興味が無いし、
「それって結局、他力本願的じゃない???」とも思うので、はまりませんでした。
と、言うわけで、私が思う注意点は、
慎重さと冷静さは失わないこと、
あくまでも自分が幸せに生きていくための物事の考え方のひとつとして取り入れていくことだとそう思っています。